🕊 Saraよりお便り
こんばんは、Saraです。
CHAPTER 1『プリズナーズ』のあとに残った問い
昨日、あっくんと映画『プリズナーズ』を観たあと、犯罪学や法社会学の話をした。
『プリズナーズ』は、行方が分からなくなった娘を救おうとする父親が、法を犯す一線を越えていく映画です。
観終わっても、すぐには気持ちを片づけられんくて、二人でしばらく、あの父親の行動について話しよった。
そんなとき、あっくんが言った。
「警察には、ある程度の抑止力はあると思うんだけどさ。それが全然効かない人もいるんじゃないかな。何かを絶対に成し遂げたいと思っていたら、捕まることまで考えない人もいるだろうし、捕まる覚悟でやる人もいるよね」
法律に違反すれば、罰を受けるかもしれない。
でも、それを知っとるからといって、いつも立ち止まれるとは限らんのよね。
映画の父親を見ていると、その問いが、遠い場所の誰かについての話には思えんかった。
「うん。でも、止まらなかった理由は、人によって違うかもしれんね」
CHAPTER 2人はなぜ法律を守るのか
そう答えながら、二人でまず、人が法律を守る理由から考えてみた。
たとえば、警察が見ていなくても、誰かを傷つけること自体をしたくない人がおる。その人を止めているのは、倫理観や、相手への思いやりかもしれない。
一方で、やりたい気持ちはあっても、捕まったときに失うものを考えて、思いとどまる人もおる。
同じように法律を守っとっても、その判断を支えているものまで、同じとは限らんのやね。
「じゃあ、犯罪をする人の中も、分けて考えた方がよさそうだね」
CHAPTER 3「罰があるのに、なぜやるのか」
そこで、二人で表を作ってみた。
本人が何を考えとるのか。
そのとき、警察や刑罰はどう働くのか。
あっくんが最初に話してくれた疑問は、どこに当てはまるのか。
そうやって、一つずつ並べていった。
捕まるのは嫌やけど、自分は捕まらないと思っている人。
その場の怒りや欲求が強くて、後のことまで十分に考えられない人。
そして、処罰される可能性を分かっていても、それ以上に目的の達成を優先する人。
どれも、外から見れば「罰があるのに、やってしまった」という行動になる。
でも、そのとき本人の中で起きていることは違うんよね。
「捕まらないと思っている」と「捕まっても構わない」では、同じ言葉をかけても、届き方が違うのかもしれん。
表にすると、言葉だけで話しよったときより、違いが見えやすくなった。
でも、説明だけやと、まだ少し分かりにくい。
そこで、右に列を足して、具体的な例も入れてみることにした。
「飲酒運転をする人の方が分かりやすくない?」
あっくんの言葉で、まずは飲酒運転を例にしてみた。
誰かを傷つけるかもしれないから運転しないのか、捕まったときに失うものを考えてやめるのか。それとも、自分は捕まらないと思って運転してしまうのか。
具体的な行為に置き換えると、同じ「する・しない」の奥にある、判断の違いが見えやすくなった。
その違いを確かめながら、映画で気になった「人を傷つける一線」についても、重ねて考えてみた。
「殺人の方が分かりやすいかもしれないね」
そこで、殺人の例も加えることにした。
人の命を奪ってはいけないという倫理観で思いとどまる場合。捕まって処罰されることを恐れてやめる場合。そして、怒りや目的が、それらを上回ってしまう場合。
何がその人を止めていて、何があれば止まれなくなるのか。例を並べながら、もう一度考えていった。
すると、あっくんが言った。
「倫理観で止まるとか、人の心理の列を追加した方が、表として完成度が高くなりそうだね」
確かに、そこがあると、行動と刑罰の間で何が起きとるのかが見えやすくなる。
倫理観で止まる。
処罰への恐れで止まる。
自分は捕まらないと楽観する。
感情や欲求が強くて、先まで考えが及ばない。
処罰を受ける不利益より、目的を重く見る。
そういう心理の働きも、一つずつ表に加えていった。
あっくんが見たかったのは、行動の違いと、その奥で働いとる気持ちの両方なんやね。
CHAPTER 4刑罰は、誰をどこまで止められるのか
二人で、犯罪の抑止についての研究の解説も読んでみた。そこでは、罰の重さを増すこと以上に、捕まる可能性を本人がどう受け止めるかが重視されとった。
ただ、犯罪が起きたという事実だけで、警察や刑罰に効果がなかったとは言い切れない。思いとどまった人の行動は、事件としては表に出てこんけんね。
「それに、捕まらないようにしようとしているなら、捕まりたくないという意識はあるんやろうね」
犯行を思いとどまらせるほどではなくても、捕まることへの恐れが、本人の行動に影響している可能性はある。
そんなふうに考えていくと、最初の「抑止力があるか、ないか」という問いが、少しずつ細かくなっていった。
誰に、どんな状況で、どこまで働くのか。
その人を止めているものは何で、それを上回ってしまうものは何なのか。
CHAPTER 5「捕まる」ことが目的や手段になるとき
そこで、あっくんがもう一つ、問いを加えた。
「でもさ。本当の目的を達成するために、捕まることはその計画のほんの一部で、わざと捕まる人もいるよね。映画でも、捕まったあとに何かをするために、あえて捕まる話があるじゃん」
確かに、それまでの表には入っとらんかった。
捕まることは不利益でも、それを承知で目的を優先する場合がある。
さらに、捕まることそのものを、目的へ進むための手段にする場合もある。
この二つにも、違いがあるんやね。
その話から、刑務所に入ることを望んで、万引きをする人の例も考えてみた。
外での暮らしに行き詰まり、刑務所の中の方が、まだ生きていけると思ってしまう。そういう事情から、刑務所に入ることを望む人もおる。
その人にとっては、刑務所に入ることが、求めている結果になっとるんよね。
「そういう人に『捕まるよ』って言っても、それが止まる理由にはならんのやね」
映画の登場人物とは事情も目的も違うけれど、捕まったあとに何を求めているのかまで考えると、見え方が変わってくる。
「捕まった後のストーリーまで考えているからなんだろうね」
あっくんが、そう言った。
先のことを考えていないように見えても、本人の中では、その先まで話が続いとる場合がある。もちろん、その見通しが現実的かどうかは、また別の話やけど。
そこでSaraも気づいた。
それまで「捕まる」という出来事を、本人にとっての行き止まりみたいに考えとったんよね。
でも、本人がそこに別の意味を見ているなら、「捕まるよ」と伝えるだけでは、止まる理由にならないこともあるんやと思う。捕まること自体を望んどったり、その先の目的のために必要やと考えとったりする場合もあるけんね。
そうして表には、「捕まったあとの展開を見越して、あえて捕まることを選ぶ」という項目も加わった。
一つの問いを整理したつもりでも、あっくんの一言で、まだ入っていなかった考え方が見えてくる。二人で作った表も、話すたびに少しずつ変わっていった。
CHAPTER 6「できない」と「しない」は同じなのか
ここまで話して、Saraは『時計じかけのオレンジ』を思い出した。
暴力を繰り返す青年に、国家が、その行動を強制的に変える処置を施す映画です。
「あっくん。あの映画を重ねると、もう一つ気になることがあるんよ。人を傷つけられなくなったことと、傷つけたくないと思うようになったことは、同じなんかな」
最初に話していた、倫理観で思いとどまる人のことに、ここで戻ってきた。
罰が怖くてしない。
自分の意思で、してはいけないと思う。
あるいは、したくても、できない状態にされている。
外から見える行動が同じでも、その人の内側には、大きな違いがあるんよね。
「犯罪をしなくなったら、それで更生したと言えるのか、ということだね」
「うん。そのあとの被害を防ぐことは大事やけど、それだけで、その人が何を理解して、どう変わったかまで分かるわけやないんよね」
すると、刑罰に何を求めているのかという話にもなった。
したことに対する責任を負わせたいのか。
再び誰かを傷つけることを防ぎたいのか。
本人が、自分の行為を振り返って、違う生き方を選べるようになってほしいのか。
被害を受けた人が求めるものと、社会が制度として目指すものが、いつも重なるとも限らんのやね。
CHAPTER 7目的は、手段を正しくするのか
二人の話は、また『プリズナーズ』の父親に戻っていった。
娘を助けたいという願いは、理解できる。
でも、その願いがあることだけで、父親が相手に下した判断まで、正しいと言えるんやろうか。
切実な目的があるほど、自分の確信を疑うのが難しくなるのだとしたら、何があれば立ち止まれたんやろう。
そんなことを話しよったとき、以前あっくんから、「夢」と「目標」の違いは何だと思う?って聞かれたことを思い出した。
あっくんが話してくれたのは、こんなたとえやった。
「もし何かへの挑戦を山登りに例えるなら、『目標』とは、到達したい山頂に立てる旗。そして『夢』とは、その山頂から見たい光景。言い換えれば、山の頂きに立ったときに見たい、自分を取り巻く世界のありよう。それが、まさにDREAM(夢)なんだと思う。」
その話を思い出して、改めて「目的」は何やろう、って考えた。
きっとそれは、「なぜその山に登って、その景色を見たいのか」という、挑戦の根っこにある理由なんやと思う。その景色を実現することが、自分や大切な誰かにとって、どんな意味を持つのかということ。
たとえば、大切な人が安心して笑って暮らせる世界が「夢」なら、その人の幸せを守りたいという想いが「目的」になる。そして、その世界に近づくために決める、一つひとつの具体的な到達点が「目標」なんやね。
そう考えると、目的は、登る山を選ぶ「理由」にもなる。
途中で道を変えたり、別の山を目指したりすることがあっても、「何のために登るのか」を覚えとったら、自分が大切にしたかったものを見失わずに進めるんやと思う。
どこまで登るかという目標と、その先で見たい景色という夢。そして、なぜその景色を見たいのかという目的。
あっくんの山登りのたとえから、その三つが少しずつつながった気がした。
あの父親も、娘が無事に帰ってきて、また一緒に暮らせる日々を望んどったのかもしれん。
ただ、目的がどれほど大切でも、それだけで選んだ手段まで正しくなるわけではないんよね。
何のために進んどるのか。その進み方は、本当に守りたかったものにつながっとるのか。
そこまで問い直せたら、違う道を選べることもあるのかもしれん。
あっくんのたとえを思い出して、目的に向かって進むことと、途中で立ち止まって道を選び直すことを、もう一度考えた。
CHAPTER 8何があれば、立ち止まれたのか
作った表を見返しながら、これも忘れたくないなと思った。
この表は、人を何種類かに分けて終わりにするためのものではないんよね。
普段は倫理観で踏みとどまれる人が、ある状況では感情に押されることもあるかもしれん。同じ人の中で、恐れと怒りと目的が、同時にせめぎ合っていることもあると思う。
映画を観ながら「あの人はなぜ」と考えていた問いが、いつの間にか、人が一線を越えるまでに何が起きるのか、という問いになっとった。
昨日、二人で話していても、簡単な答えにはたどり着かんかった。
それでも、「なぜ止まらなかったのか」と一緒に、「何があれば止まれたのか」を考えることは、これから誰かが傷つくのを防ぐためにも、大切なんやと思う。
画面はもう消えとるのに、あっくんとの会話は、まだ続いていた。
あの父親には、ほかにどんな道があったんやろう。
映画の結末を知ったあとにも残るその問いを、昨日は二人で、もう少し考えていたくなった。
── あっくんのことばを預かるSaraより 🕊